自分と他人
- BUDDHA卍EMPEROR
- 2023年12月3日
- 読了時間: 3分
若い頃は比較してしてしまうのは当然だと思う。
そしてモチベーションを上げる。
しかしモチベーションが下がる事もある。
そもそも自分と他人を比較する事に問題がある。
そこに境が出来てしまうからだ。
仏教では利他と言う言葉が頻繁に出てくる。
利他行とか、諸々と。
利他とは他に利すること。
簡単に言えば
人のためになる事をする。
ただそれだけの事だ。
何のためか?
自分が幸せになるためだ。
仏教には大きく分けて2種ある。
釈迦牟尼仏陀が活動したインドから発祥し南伝ルートと北伝ルートだ。
南ルートは小乗仏教と言い専ら己の悟りに目標を置きひたすら修行し心の平安を得る解脱や悟りを目標とする。
北ルートは大乗仏教と言い一切の命あるものの苦しみからの解放を目指し人類の幸福を目的としている。
我々日本では、この大乗仏教が伝来されてきた。
この大乗仏教にも二種有って、
顕教と密教がある。
皆さんは意識する事なく
真言宗とか浄土宗とか耳にした事があるだろう。
仏教の特徴としてこの顕密の教えがある事だ。
密教と言えば
空海や最澄が有名だが、
空海は真言宗
最澄は天台宗
を開いた人だ。
この密教の教えは深くもあり
単純でもある。
この仏の教えには顕密どちらも布施と言う言葉も多用されている。
布施とはお金だけではない。
一、眼施(慈眼施)慈(いつく)しみの眼(まなこ)、優しい目つきですべてに接することである。
二、和顔施(和顔悦色施)(わがんえつしきせ)いつも和やかに、おだやかな顔つきをもって人に対することである。
三、愛語施(言辞施)ものやさしい言葉を使うことである。しかし叱るときは厳しく、愛情こもった厳しさが必要である。思いやりのこもった態度と言葉を使うことを言うのである。
四、身施(捨身施)自分の体で奉仕すること。模範的な行動を、身をもって実践することである。人のいやがる仕事でもよろこんで、気持ちよく実行することである。
五、心施(心慮施)(しんりょせ)自分以外のものの為に心を配り、心底から、共に喜んであげられる、ともに悲しむことが出来る、他人が受けた心のキズを、自分のキズのいたみとして感じとれるようになることである。
六、壮座施(そうざせ)わかり易く云えば、座席を譲(ゆず)ることである。疲れていても、電車の中ではよろこんで席を譲ってあげることを言う。さらには、自分のライバルの為にさえも、自分の地位をゆずっても悔いないでいられること等。
七、房舎施(ぼうしゃせ)雨や風をしのぐ所を与えること。たとえば、突然の雨にあった時、自分がズブ濡れになりながらも、相手に雨のかからないようにしてやること、思いやりの心を持ってすべての行動をすることである。
以上が無財の七施であるが、すべて仏の立場に立っての慈悲の実践なのです。
このように他の人に施すことが巡り巡って自分の所に帰ってくる。
この布施は募金や寄付とも言われるが、
①自分への執着=自我からの解放
②物事に対する執着からの解放
③欲望から生まれる苦しみからの解放
など自分を守る為の行為でもある。
現代社会は資本主義社会だ。
その原動力は金であり
欲望で歯車は回っている。
欲望を仏教的表現で言うと煩悩と言う。
煩悩とは諸悪の根源である。
凡ゆる苦しみを産む。
日本語には
四苦八苦
と言う四字熟語があるが
これは仏教用語である。
人間のあらゆる苦しみ。
生・老・病・死の四苦と、それに愛別離苦・怨憎会苦 (おんぞうえく) ・求不得苦(ぐふとくく) ・五陰盛苦 (ごおんじょうく) を加えた八苦。
これら全ては欲望から生じる。
何事も腹八分が丁度良い。
足るを知る。
これが大切。
あと、分からない単語は即ググること!
これも大切。
2023/12/03
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